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映画とか野球とかの与太話ばかり

KUBO/クボ 二本の弦の秘密(ネタバレ)

さほど期待していなかったけど、口コミの評判が良かったので試しに観たら凄く良かった映画が結構あります。 今回はそんな口コミが凄かったので、いっちょだまされたと思って観てやろうという気持ちで劇場へ行って、終映後にそんな気持ちで観た事を土下座して謝りたくなった映画です。以下、イントロダクション。

 

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コララインとボタンの魔女 3D」などを手がけたアニメーションスタジオのライカが、中世の日本を舞台に勇敢で心やさしい少年の冒険を描き、第89回アカデミー賞で長編アニメーション部門にノミネートされたストップモーションアニメ。魔法の三味線と折り紙を操る片目の少年クボは、体の弱い母と2人で静かに暮らしていた。不吉な子どもとして一族から命をねらわれていたクボは、ある時、邪悪な伯母たちに見つかってしまうが、母親が最後の力を振り絞って放った魔法によって助けられる。たった1人残されたクボは、母の力によって命を吹き込まれたサルとともに、母が最後に言い残した「3つの武具」を探し、自身の出自の秘密に迫る旅に出る。旅の途中で記憶を失ったクワガタの侍も仲間に加わり、一行は数々の困難を乗り越えて武具を見つけていくが……。シャーリーズ・セロンマシュー・マコノヒーレイフ・ファインズルーニー・マーラらが声優として出演。(映画.comより)

 

予告編


『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』本予告  11月18日(土)新宿バルト9ほか全国ロードショー

 

 

 

感想

号泣でした。途中までは「ははーん。これは猿の惑星のオマージュだなぁ」とか余裕かまして観ていたのですが、終盤の展開はノータイムでおじさんの涙腺を決壊させました。

トラビス・ナイト監督(お父さんがナイキの創業者!)が日本文化にとても敬意を払ってくれていて、作品にも黒澤明宮崎駿の影響を公言しています。日本文化をよく調べて理解してくれている事で、ほとんど違和感なく物語に入っていけましたが、やはり「外国人の描く日本」なので昔話なのに炭坑節が流れたりと変な所もあるので、日本にとてもよく似たオリエンタルな国の昔話という感じで僕は観ました。

俳優の演技も素晴らしく、特にシャーリーズ・セロンが母性溢れるフュリオサでした。

四季の表現もよくぞここまで繊細に表現したなと関心しきりでした。 

 

概要

 クボのもとに仲間が集まり月の帝と戦うという桃太郎と竹取物語を足した様な感覚です。ストップモーションアニメにVFXを足して豪華な映像を実現しています。まさにハイブリッド昔話!途中ストップモーションである事を忘れてしまうほどヌルヌル動きます。CGじゃないのかとさえ疑うようになったのは、技術が発達した現代ならではの皮肉な現象ですね。

 

終わりと始まりの物語

映画の全体のテーマは「物語を語り継いでいくことの尊さ」だと思います。

例え死んで肉体が滅んでも、誰かが語り継ぐ限り存在は不滅であり、それはとても幸せなことなのです。始まりがあれば終わりがある。そして物語の終わりは新しい物語の始まりでもあるのです。物語は終わりと始まりを繰り返すから尊いのであって、終わらせることすら出来ないのは不幸な事なのです。新しい物語を始めることができないのですから。

序盤クボの弾き語りに結末がないのは、母の記憶が欠落していたというのもあるのですが、実際はそういう不幸を描いているのだと思います。

その不幸の象徴である月の帝。 

彼がクボの片目を奪った理由は現世の醜悪さを見せないで自分の世界に呼び寄せるためで、しかも現世の美しさに魅せられた娘(クボの母)は人間と恋に落ち月の世界を抜け出すという「絶対に監督はかぐや姫の物語を見ただろ!」と突っ込みたくなる設定ですが、そんな月の帝は全盲です。何も見えない月世界であり精神世界の住人だから地球上のあらゆる醜さを認知しないし、自らも肉体を持たないが故に不滅の存在でいられるのです。逆に言えば見ようとしないから、反面に現世の美しさに気づかないのです(映画冒頭のセリフ「瞬きをするなら今のうちだ」も、ここにかかっているのだと思います)

だから肉体を得て不滅の存在ではなくなった時、片目(多分クボから奪った目)で世界を見る事ができたのです。記憶をなくした(物凄く都合の良い展開なのは承知のうえで)彼に村人全員で彼に新しい物語を与えるという救いを与えたのだと思います。

 

虚構 対 現実

この物語には幾重にもフィクションの中にフィクションを重ねています。

序盤のクボの弾き語りはハンゾウが三種の武具を集めるという母の口述を元にしたクボの父の英雄譚ですが、実際にクボが経験した三種の武具を巡る冒険は全然違うもので、英雄譚は母のフィクションでした。クワガタに纏わるあらゆる記憶も与えられた虚構でしたし、月の帝に与えられた赦しも虚構の物語でした。そして途中で虚構の物語に目の怪物や闇の姉妹が真実を与えていきます。そして忘れがちなのが、我々観客も登場人物らと同様、虚構を与えらた存在だという事です。その我々に真実を与えてくれる存在は、エンドロールの超高速早回しによるメイキング映像です。あの気の遠くなる作業を見せる事が、完全なる虚構と現実の狭間であるストップモーションアニメで表現した意義のひとつだと思います。人間でもCGでもなく、実存する人形を使ったからこそフィクションの最外郭にいる観客というあやふやな存在を自覚させる事が出来たのだと思います。

一見すると単純な冒険物語は まるで押井守のように(メタ)フィクションのミルフィーユで包まれていたのです。

 

行き届いた日本リサーチ

とにかく日本の習俗に関して綿密なリサーチを積み重ねていることに驚きました。

盆踊りや灯篭流しの意味もしっかり理解しているし、わびさびの考え方も日本人以上に敬意を払ってくれていると思います。死生観というか、先祖の霊魂に対する考え方も東洋、日本的だなぁと思いました。実際に終盤のクボに力を与えたのは神の加護ではなく、村人たちが語り継いだ先祖、死者たちの加護です。劇中ではお盆に死者が還ってきて、灯篭に乗って彼岸へ向かうという説明がなされますが、アメリカ映画でこの死生観を我々日本人が前置きなしで共有できるというのは凄い事だと思います。

北斎国芳リスペクトのカットあり、三船敏郎似のキャラクターありとこれほどまでに日本文化を取り上げてくれてありがとうという気持ちです。

今年はレディプレイヤー1だったり、犬が島だったり日本文化を中心に据えた映画の当たり年です。これ程までに日本の文化を大事に扱ってくれる事に感謝しつつ、今度は日本人がもっと外国の文化に対して理解を深めていかなければ、日本文化の進化はあり得ないとも思いました。